トピック: 贅沢

  • 味の向こう側

    味の向こう側

    青山:食事は一日で3回しか食べられないって話さ、最近まじで思ってて。

    松田:はいはい。

    旅行先で食事をする際、訪れるべきはその土地でもっとも典型的な人々が食べているお店以外にはないという話をしていました。そのひとつの根拠は、食事は身体的条件によって誰しもせいぜい一日3食に制限されかつ一度食べると消えてなくなってしまうため、もっとも典型的な人々によって食されるものにこそ、過去から未来にわたってのその土地の必然が反映されていると言えることです。
    この点において食事は、その土地を特徴づける光景のうち、観念や資本が集約されやすいその他とは大きく異なります。

    青山:古代ローマの貴族はお腹いっぱいになったら吐いてまた食べていたみたいな話の意味分からなさを思うと同時に、身体的制約がないときに味覚ってどうなるんだろうみたいな話もあると思っていて

    松田:うん、そうやんね。

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    ペトロニウス作・国原吉之助訳『古代ローマの諷刺小説』岩波書店

    青山:一日3回、一回にせいぜい500gくらいしか食べられなくて、それもめっちゃ美味しく食べられるのって最初の三分の一くらいじゃん。そういう制約がある中で食事の美学が醸成されてきているとして…それがないとなると、それってどういうことなのかって思ってるし。

    松田:ほんまにそうやんな、どうなるんやろうな。そこでいう制約がないっていうのはさ、吐きながら食べ続けるのをさらに超えた、未来のスタイルがあるかもってことやんな?

    青山:まあ…それこそ最近、食系の企業からSF小説を書いてくださいみたいなことを言われていて。それで考えているところでもある。

    松田:なるほどなるほど。

    なるほどではない

    青山:で…他にもさ、なんかチリのプラントベースドミルク会社みたいなのがめっちゃ跳ねたって話があって。

    松田:はいはい。

    NotCo

    青山:そこはプラントベースドのミルクを作って、それの味付けをAIにさせた結果、普通のミルクよりも美味しいものができたらしい

    松田:笑

    青山:つまり「やっぱり本物の牛乳の方が美味しいよね」って価値観って、普通の牛乳の味が中心にあってそこからの距離でしか他の製品を評価しないっていう前提があるから、必然的に本物の牛乳が一番になるしかない議論でしかなくて…まあそうなるに決まっていて。

    松田:うんうん。

    青山:…なんだけど、別の客観的な評価軸を設けて評価した場合に、牛乳より美味しい牛乳のような何かが出てくることは考えられるわけで。

    松田:なるほどね。

    青山:みたいなケースとかを見るにつけ、前提となっている条件を無視した場合の食事について考えるのはおもしろいなって

    松田:なるほどね、なるほどな。

    青山:まあ吐き続けるのは食道にも負荷がかかるからよくないけれど、食べたものが中に溜まらないようにする出口を人工的に作れたら…

    嫌です

    松田:確かにさ、普通に食事をしていると味覚体験を追求するはるか手前で満腹がくるやん、あれ嫌やんな。

    同じ理由でお酒が趣味な人にも個人的には共感しづらい。酔うてるくせに美味いも不味いもなくない?

    青山:香りとかもあるけど嗅覚もすぐに麻痺するからさ。それこそコース料理とかもさ、皿と皿の感覚を空けて、ある程度リセットした上で新しい料理に出会ってくださいという形式としてまあ理解できるじゃん。

    松田:そうねそうね。

    青山:…ってことを考えると、胃の容量が無限だからといって、連続した食の体験であれば別の器官が麻痺してくるんだろうなって

    松田:てか満腹にならなかったらさ、そもそも美味しいとかない説ってない?

    青山:うんうん。

    松田:お腹のキャパのせいで、一日のほとんどは無味無臭の空気しか食われへんわけやん。だからこそ食事のときになんかピークが立ってる感じになってるだけな気もする。

    青山:うん。

    松田:だって秋刀魚のわたもさ、別にいわゆる意味では美味しくないけど、楽しめるやん。もちろんアイスクリームと秋刀魚のわたなら前者の方が美味しいのは確実やねんけど、実はアイスクリームも秋刀魚のわたと同じっていう説はある

    青山:うんうん。

    松田:まあそういうことを考えるにつけさ、食事を記号的に消費することが非常に筋が悪いのは間違いないよね。味覚体験ってなんかこう…サンクチュアリって感じあるもん。せっかく身体的な条件のもとで追求できる価値観やねんから。

    青山:うんうん。

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    國分功一郎『目的への抵抗』新潮社

    松田:身体的に条件付けられているがゆえの喜びというか、どこまでも相対化されないリアリティがあるやん。

    青山:中学生くらいのとき、パンケーキ食べ放題みたいなのに友達と行って20枚くらい食べて。

    松田:笑

    青山:お腹はいっぱいになってないけど、まじで食べられなくなって。そこはやっぱりそうなんだって思った

    松田:おれは大学生のときにさ、チョコパイのファミリーパック9個入りを全部一人で食べてん。どうなるんやろうみたいに思ってんけど、まあやっぱそうなったわ。

    きみら地球に来て3日目とかなん?

    青山:でも味に飽きるというか、美味しいっていう欲望に駆動されて食べているフェーズが終わった後の味覚体験、真顔で食べてるっていう状態は結構重要で

    松田:美味しいとかいう気持ちは置いてきたけど、味覚の上で差分は検知できる状態やんな。

    青山:そうそう。それはなんだろうな、味の構成において何が強調されているのかがはっきりと見えるようになるし、それと快楽との結びつきが既に遮断されているから…そういうのは体験としておもしろい。

    松田:そうね。

    青山:だから僕は結構飽きるまで食べちゃう。で、飽きてきたときに何に飽きているのかとか、何が体験として変質しているのかとか、総体として良いと思っていたのが実はそうではなかったとか、どの部分が修飾されていることで快を感じていたのかとか、そういうことが見えるようになるのがおもしろい

    フォアグラ界の『夜と霧』

    松田:最近やと何に飽きた?

    青山:セブンの杏仁豆腐だね。

    松田:笑

    セブン-イレブン

    青山:なんかね、食べるたびに牛乳みみたいなのがどんどん強くなっていって。

    松田:なるほど、ちょっと嫌かも。

    青山:そういう意味では、セブンの杏仁豆腐は変なバランスのつくりをしている気がする。本格系の杏仁豆腐ってめっちゃ脂っこい感じなんだけど、そうじゃないジェネラルな杏仁豆腐はほぼ牛乳寒天に寄っていくっていうグラデーションの中で、セブンの杏仁豆腐は食体験としてはつるっとしたものになっているが、意外と牛乳の濃さが残っていて。

    松田:なるほどね。

    青山:し、一般的にさっぱり系の杏仁豆腐は同時に杏仁の香りも薄まっていく気がするが、セブンの杏仁豆腐はそうではない。

    松田:なるほどな。

    青山:…ちょっとこれ何の話してるのか分からないな笑

    松田:てか杏仁豆腐好きなんやね。おれさ、杏仁豆腐は中華料理屋の錬金術だって根拠なく言ってるねんけどさ、そこ実際はどうなん? 実はちゃんと作ったら金かかったりするん?

    青山:いやどうなんだろうね。

    松田:そこは食べ専か。

    青山:でもやっぱり錬金術な気もする。こだわった結果コストがかかりそうなのって杏仁の部分でしかないし、他でこだわるってなるとパラメーターをどう設定するかであって、試行回数とその結果生まれたレシピに聖なるものは宿りそうだけど、原価厨的な話をすると高くはならなそう。

    松田:まあでもそうか、試行を重ねることに意味はあるんやな。それを聞くと、今後はカヌレと同等程度のリスペクトは払えそうな気がしてきた。

    2024年10月11日
    Aux Bacchanales 紀尾井町

  • 味の向こう側

    味の向こう側

    青山:食事は一日で3回しか食べられないって話さ、最近まじで思ってて。

    松田:はいはい。

    旅行先で食事をする際、訪れるべきはその土地でもっとも典型的な人々が食べているお店以外にはないという話をしていました。そのひとつの根拠は、食事は身体的条件によって誰しもせいぜい一日3食に制限されかつ一度食べると消えてなくなってしまうため、もっとも典型的な人々によって食されるものにこそ、過去から未来にわたってのその土地の必然が反映されていると言えることです。
    この点において食事は、その土地を特徴づける光景のうち、観念や資本が集約されやすいその他とは大きく異なります。

    青山:古代ローマの貴族はお腹いっぱいになったら吐いてまた食べていたみたいな話の意味分からなさを思うと同時に、身体的制約がないときに味覚ってどうなるんだろうみたいな話もあると思っていて

    松田:うん、そうやんね。

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    青山:一日3回、一回にせいぜい500gくらいしか食べられなくて、それもめっちゃ美味しく食べられるのって最初の三分の一くらいじゃん。そういう制約がある中で食事の美学が醸成されてきているとして…それがないとなると、それってどういうことなのかって思ってるし。

    松田:ほんまにそうやんな、どうなるんやろうな。そこでいう制約がないっていうのはさ、吐きながら食べ続けるのをさらに超えた、未来のスタイルがあるかもってことやんな?

    青山:まあ…それこそ最近、食系の企業からSF小説を書いてくださいみたいなことを言われていて。それで考えているところでもある。

    松田:なるほどなるほど。

    なるほどではない

    青山:で…他にもさ、なんかチリのプラントベースドミルク会社みたいなのがめっちゃ跳ねたって話があって。

    松田:はいはい。

    NotCo

    青山:そこはプラントベースドのミルクを作って、それの味付けをAIにさせた結果、普通のミルクよりも美味しいものができたらしい

    松田:笑

    青山:つまり「やっぱり本物の牛乳の方が美味しいよね」って価値観って、普通の牛乳の味が中心にあってそこからの距離でしか他の製品を評価しないっていう前提があるから、必然的に本物の牛乳が一番になるしかない議論でしかなくて…まあそうなるに決まっていて。

    松田:うんうん。

    青山:…なんだけど、別の客観的な評価軸を設けて評価した場合に、牛乳より美味しい牛乳のような何かが出てくることは考えられるわけで。

    松田:なるほどね。

    青山:みたいなケースとかを見るにつけ、前提となっている条件を無視した場合の食事について考えるのはおもしろいなって

    松田:なるほどね、なるほどな。

    青山:まあ吐き続けるのは食道にも負荷がかかるからよくないけれど、食べたものが中に溜まらないようにする出口を人工的に作れたら…

    嫌です

    松田:確かにさ、普通に食事をしていると味覚体験を追求するはるか手前で満腹がくるやん、あれ嫌やんな。

    同じ理由でお酒が趣味な人にも個人的には共感しづらい。酔うてるくせに美味いも不味いもなくない?

    青山:香りとかもあるけど嗅覚もすぐに麻痺するからさ。それこそコース料理とかもさ、皿と皿の感覚を空けて、ある程度リセットした上で新しい料理に出会ってくださいという形式としてまあ理解できるじゃん。

    松田:そうねそうね。

    青山:…ってことを考えると、胃の容量が無限だからといって、連続した食の体験であれば別の器官が麻痺してくるんだろうなって

    松田:てか満腹にならなかったらさ、そもそも美味しいとかない説ってない?

    青山:うんうん。

    松田:お腹のキャパのせいで、一日のほとんどは無味無臭の空気しか食われへんわけやん。だからこそ食事のときになんかピークが立ってる感じになってるだけな気もする。

    青山:うん。

    松田:だって秋刀魚のわたもさ、別にいわゆる意味では美味しくないけど、楽しめるやん。もちろんアイスクリームと秋刀魚のわたなら前者の方が美味しいのは確実やねんけど、実はアイスクリームも秋刀魚のわたと同じっていう説はある

    青山:うんうん。

    松田:まあそういうことを考えるにつけさ、食事を記号的に消費することが非常に筋が悪いのは間違いないよね。味覚体験ってなんかこう…サンクチュアリって感じあるもん。せっかく身体的な条件のもとで追求できる価値観やねんから。

    青山:うんうん。

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    國分功一郎『目的への抵抗』新潮社

    松田:身体的に条件付けられているがゆえの喜びというか、どこまでも相対化されないリアリティがあるやん。

    青山:中学生くらいのとき、パンケーキ食べ放題みたいなのに友達と行って20枚くらい食べて。

    松田:笑

    青山:お腹はいっぱいになってないけど、まじで食べられなくなって。そこはやっぱりそうなんだって思った

    松田:おれは大学生のときにさ、チョコパイのファミリーパック9個入りを全部一人で食べてん。どうなるんやろうみたいに思ってんけど、まあやっぱそうなったわ。

    きみら地球に来て3日目とかなん?

    青山:でも味に飽きるというか、美味しいっていう欲望に駆動されて食べているフェーズが終わった後の味覚体験、真顔で食べてるっていう状態は結構重要で

    松田:美味しいとかいう気持ちは置いてきたけど、味覚の上で差分は検知できる状態やんな。

    青山:そうそう。それはなんだろうな、味の構成において何が強調されているのかがはっきりと見えるようになるし、それと快楽との結びつきが既に遮断されているから…そういうのは体験としておもしろい。

    松田:そうね。

    青山:だから僕は結構飽きるまで食べちゃう。で、飽きてきたときに何に飽きているのかとか、何が体験として変質しているのかとか、総体として良いと思っていたのが実はそうではなかったとか、どの部分が修飾されていることで快を感じていたのかとか、そういうことが見えるようになるのがおもしろい

    フォアグラ界の『夜と霧』

    松田:最近やと何に飽きた?

    青山:セブンの杏仁豆腐だね。

    松田:笑

    セブン-イレブン

    青山:なんかね、食べるたびに牛乳みみたいなのがどんどん強くなっていって。

    松田:なるほど、ちょっと嫌かも。

    青山:そういう意味では、セブンの杏仁豆腐は変なバランスのつくりをしている気がする。本格系の杏仁豆腐ってめっちゃ脂っこい感じなんだけど、そうじゃないジェネラルな杏仁豆腐はほぼ牛乳寒天に寄っていくっていうグラデーションの中で、セブンの杏仁豆腐は食体験としてはつるっとしたものになっているが、意外と牛乳の濃さが残っていて。

    松田:なるほどね。

    青山:し、一般的にさっぱり系の杏仁豆腐は同時に杏仁の香りも薄まっていく気がするが、セブンの杏仁豆腐はそうではない。

    松田:なるほどな。

    青山:…ちょっとこれ何の話してるのか分からないな笑

    松田:てか杏仁豆腐好きなんやね。おれさ、杏仁豆腐は中華料理屋の錬金術だって根拠なく言ってるねんけどさ、そこ実際はどうなん? 実はちゃんと作ったら金かかったりするん?

    青山:いやどうなんだろうね。

    松田:そこは食べ専か。

    青山:でもやっぱり錬金術な気もする。こだわった結果コストがかかりそうなのって杏仁の部分でしかないし、他でこだわるってなるとパラメーターをどう設定するかであって、試行回数とその結果生まれたレシピに聖なるものは宿りそうだけど、原価厨的な話をすると高くはならなそう。

    松田:まあでもそうか、試行を重ねることに意味はあるんやな。それを聞くと、今後はカヌレと同等程度のリスペクトは払えそうな気がしてきた。

    2024年10月11日
    Aux Bacchanales 紀尾井町

  • 逆説的に現像された質量を持たないモード、BALENCIAGA

    逆説的に現像された質量を持たないモード、BALENCIAGA

    青山:なんかさ、バレンシアガのクチュールコレクションあるじゃん。

    松田:そんなんあるんや、おれあんま分かってへんかも。

    Balenciaga / YouTube

    開始2秒で一生しないスタイル出てきてわらう

    青山:パリの本店だと採寸して作ってくれる、クチュールのコレクションが発表されていて。で、オートクチュールとは言っているが、もちろんドレスとかもあるんだけど普通にフーディーとかデニムとかもやってますみたいな

    松田:あ、そこはバレンシアガなんやね。

    青山:まあそういう、いつものバレンシアガのやつがあるんだけど。で、このあいだのクチュールのコレクションでよくあるメタルTみたいなのが出てて。

    松田:はいはい。

    青山:そのプリントをオイルペインターが全部手書きしています、みたいな感じの。

    松田:おお…すごいな。

    Balenciaga Couture Official Website

    青山:まあそれはさ、労力を投じること自体がモードであるみたいなことは言い得るし分かりますという感じなんだが、受け手側の感覚としてそれを説明するときに「一枚のTシャツに何十時間かけています」みたいな、だから一枚何百万円とかするんですよみたいな話をされると、その論理はおかしくないかみたいな気持ちにも同時になって

    松田:うん、そうやんな。

    「いきます? いっときます? 」の接客の方が信用できる説

    青山:例えば同じように何十時間かけて描いた絵だと…つまりそのオイルペインターだってさ、別に当世最高峰の作品を描いているわけではないわけで。

    松田:そうやんね。

    青山:ってなったときに、名前も知らないオイルペインターが描いた油絵一枚なんて数万円とかで買えるわけで、そこに価値の根拠はないんだが…

    松田:うんうん。

    青山:でも消費者の目線から話そうとすると、どうしてそういう説明になってしまって、そこに価値があるかのように受け手側は思ってしまうみたいな。なんかそれは純粋ではないなって。

    松田:まあむずいな、説明しようとするとそうなっちゃうよな。ただそういう話を抜きにしたとき、自分は結構買っちゃうタイプな気がする。

    青山:うんうん。

    松田:で、そのことを誰にも話さずに…かつそれを買うくらいの経済的な余裕があるのであれば、暖炉とでかいソファくらいは同時に仮定してもフェアやと思うねんけど、そこでズブズブって座って、明らかに資源を無駄にしていることに耽溺するというか。

    青山:うんうん。

    松田:つまり北京ダックを食べるときと同じ気持ちになる気がするな。いわゆる無駄な贅沢をしているという感覚を味わうために買って着る気がするし、それはそれとして健全な気もする

    青山:うん。

    松田:だって北京ダックなんてさ、やったらあかんことしている感じに並走されながら楽しむものやと思うし、かつこの罪悪感って通り過ぎていくというよりは積み上がるものやから、毎日北京ダック食べるのってできひんやん。おれならどこかでバッドに入るよ。

    青山:うん。

    松田:だからそのバレンシアガのTシャツも、そういうものとしてであれば楽しめる気がする。そういうものだからこそ人には言えないし、まあ店頭で十分に正当な感じで消費者にアピールされている様子は想像が難しい。

    脱法生レバーと同じ、てめえのケツを拭けるタイプの客にだけ裏で出すこと

    青山:うんうん。

    松田:だって言ったら軽蔑されるし、その軽蔑もまあ妥当やん。なんだけど…個人的な体験としては否めないものがあるっていうね。まあ分からんな、あくまでもおれは北京ダックとかホテルのドアマンみたいなものが死ぬほど嫌いという立場やねんけど、それに1mmも共感できずに、はなから気分よくなれるやつだってなんぼでもおるやろうし。

    青山:まあそうだよね。

    松田:でも個人的には魅力を感じないでもない…てかさ、話しながら思ったけど自分がインディアンジュエリーを楽しむときの気持ちはそれに近いものがあるかもしれない

    青山:はいはい。

    British Museum

    松田:インディアンジュエリーって作るのに時間かかるし、歩留まりも悪いし、スタンプがうまく入るかちょっとずれるかの差で駄作と秀作が分かれてまうし、そういうしょうもないコストの掛け方をしている気がするねんな。

    青山:うん。

    松田:だからそれを身に着けて楽しむことの正当性みたいなのはかなり怪しい。確かにインディアンジュエリー勢はクロムハーツのことをたい焼きっていうねんけど、まあ定価があほほど高いことはさておき、たい焼きの方が全然健康なんじゃないかとか思ったりもするわけで。

    青山:うんうん。

    ひとつの型から同じものを大量に生産できるのでそう呼ばれています。実際のところ、例えばいま僕が着けているクロムハーツのダガーハートリングであれば、そのまま店頭に並べられるところまで工場に仕上げてもらっても地金代金と加工代金込みで10,000円あれば作ることができます。

    松田:でも、それでもおれはインディアンジュエリーは好きやねん。それに対して不可避な罪悪感…まあ罪悪感に限らずやねんけど、完全に観念的なものではないからこそどこかで限界がくるような、そういう無駄遣いは最近ちょっと否めないなと思っている

    青山:うんうん。

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    國分功一郎『暇と退屈の倫理学』新潮社

    松田:でもさ、そのメタルTほんまに何百万円もすんの?

    青山:うん。正確にはそのメタルT自体の価格はまだ出ていない気もするが、バレンシアガのクチュールラインで他に買えるやつが公式サイトにいくつか出ていて、デニムジャケットが500万円ですよとか、数千万円のものもありますよみたいな世界観だから

    松田:すごいな。

    青山:だからそんなもんだと思う。

    30,000 €らしい

    松田:でもそうか、今やと物を選べば200-300万円のTシャツだってあるくらいやから、少なくともそれを超えてこないとポジションは取れないよね。

    青山:ダブレットがずっと出してるさ、もこもこのオーバーオールみたいなのがあって、それはシーズンごとに描かれている絵柄が違うんだけど。

    松田:うんうん。

    青山:それとかは普通に吹き付けると毛足が長くて根元まで着色されないから、だから一着ずつ京都の職人が描いてますみたいなことを、店とかに行くと説明される笑

    NUBIAN

    松田:そういうのってまじで全部そう、「ということを店とかでは説明される」って感じやんな。

    青山:なんかダブレットとかそれこそアルチザン系とかは、そういう労力をどちらかというとクラフツマンシップの方に引きつけていってる、それの顕著な例がロエベとか。

    アルチザン系の定義は「なんか魔法使えそう」、豆知識です

    松田:はいはい。

    青山:あそこらへんはデザイナーが普通に工芸が好きみたいなのがあるからなんだろうけど。でもバレンシアガのそれって、蕩尽つまり無駄遣いというか、ある種の交換可能性をどこかに残しているところがモードだよなみたいなことは思う

    松田:確かにね。

    青山:それはバレンシアガの服を見るたびに思う。あれってもっとも良いダメージの入り方で、もっとも良いプロポーションで、もっとも良い…感じのグラフィックが入っている、あくまで世間一般にはよくある服を提案していますってことだし。

    松田:はいはい。

    青山:だから無限の時間とネットワークが存在すれば、バレンシアガ同じかそれ以上のものを発見することが可能…であると誰でもすぐに想像可能だっていう、その状況でなおそれを買うことで、なんの質量もないブランドが逆説的に現像されているみたいな。

    松田:はいはい。

    青山:その感覚があるから、当初はやっぱり本心からそれを信じる気持ちにはなれないかもしれない、みたいなところに対して躊躇のようなものがあったけど、最近はむしろそれが好ましいのではないかみたいなことを思っているっていう。

    松田:確かにね、そう聞くと普通に欲しくなってきたな。

    青山:僕も最近バレンシアガが欲しいみたいな気持ちはある。

    松田:でもバレンシアガってなんぼすんの…てかそうか、パンツだけやと裾擦るから靴も一緒に買わなあかんのか。

    青山:そうね、まあ擦るっていう選択もある

    松田:なるほど。

    青山:最近はもうデニムだと20万円からって感じで、前に14万円のデニムが発売されたときは安いって話題になってた。

    無限の時間とネットワークの半分くらいがあれば見つかりそう

    松田:でも難しいな、今みたいな文脈において理解する場合むしろ中途半端な価格やと何やってるか分からなくなるから、確かに20万円くらいの方が気持ち良いんかもね。

    2024年10月11日
    Aux Bacchanales 紀尾井町

  • 逆説的に現像された質量を持たないモード、BALENCIAGA

    逆説的に現像された質量を持たないモード、BALENCIAGA

    青山:なんかさ、バレンシアガのクチュールコレクションあるじゃん。

    松田:そんなんあるんや、おれあんま分かってへんかも。

    Balenciaga / YouTube

    開始2秒で一生しないスタイル出てきてわらう

    青山:パリの本店だと採寸して作ってくれる、クチュールのコレクションが発表されていて。で、オートクチュールとは言っているが、もちろんドレスとかもあるんだけど普通にフーディーとかデニムとかもやってますみたいな

    松田:あ、そこはバレンシアガなんやね。

    青山:まあそういう、いつものバレンシアガのやつがあるんだけど。で、このあいだのクチュールのコレクションでよくあるメタルTみたいなのが出てて。

    松田:はいはい。

    青山:そのプリントをオイルペインターが全部手書きしています、みたいな感じの。

    松田:おお…すごいな。

    Balenciaga Couture Official Website

    青山:まあそれはさ、労力を投じること自体がモードであるみたいなことは言い得るし分かりますという感じなんだが、受け手側の感覚としてそれを説明するときに「一枚のTシャツに何十時間かけています」みたいな、だから一枚何百万円とかするんですよみたいな話をされると、その論理はおかしくないかみたいな気持ちにも同時になって

    松田:うん、そうやんな。

    「いきます? いっときます? 」の接客の方が信用できる説

    青山:例えば同じように何十時間かけて描いた絵だと…つまりそのオイルペインターだってさ、別に当世最高峰の作品を描いているわけではないわけで。

    松田:そうやんね。

    青山:ってなったときに、名前も知らないオイルペインターが描いた油絵一枚なんて数万円とかで買えるわけで、そこに価値の根拠はないんだが…

    松田:うんうん。

    青山:でも消費者の目線から話そうとすると、どうしてそういう説明になってしまって、そこに価値があるかのように受け手側は思ってしまうみたいな。なんかそれは純粋ではないなって。

    松田:まあむずいな、説明しようとするとそうなっちゃうよな。ただそういう話を抜きにしたとき、自分は結構買っちゃうタイプな気がする。

    青山:うんうん。

    松田:で、そのことを誰にも話さずに…かつそれを買うくらいの経済的な余裕があるのであれば、暖炉とでかいソファくらいは同時に仮定してもフェアやと思うねんけど、そこでズブズブって座って、明らかに資源を無駄にしていることに耽溺するというか。

    青山:うんうん。

    松田:つまり北京ダックを食べるときと同じ気持ちになる気がするな。いわゆる無駄な贅沢をしているという感覚を味わうために買って着る気がするし、それはそれとして健全な気もする

    青山:うん。

    松田:だって北京ダックなんてさ、やったらあかんことしている感じに並走されながら楽しむものやと思うし、かつこの罪悪感って通り過ぎていくというよりは積み上がるものやから、毎日北京ダック食べるのってできひんやん。おれならどこかでバッドに入るよ。

    青山:うん。

    松田:だからそのバレンシアガのTシャツも、そういうものとしてであれば楽しめる気がする。そういうものだからこそ人には言えないし、まあ店頭で十分に正当な感じで消費者にアピールされている様子は想像が難しい。

    脱法生レバーと同じ、てめえのケツを拭けるタイプの客にだけ裏で出すこと

    青山:うんうん。

    松田:だって言ったら軽蔑されるし、その軽蔑もまあ妥当やん。なんだけど…個人的な体験としては否めないものがあるっていうね。まあ分からんな、あくまでもおれは北京ダックとかホテルのドアマンみたいなものが死ぬほど嫌いという立場やねんけど、それに1mmも共感できずに、はなから気分よくなれるやつだってなんぼでもおるやろうし。

    青山:まあそうだよね。

    松田:でも個人的には魅力を感じないでもない…てかさ、話しながら思ったけど自分がインディアンジュエリーを楽しむときの気持ちはそれに近いものがあるかもしれない

    青山:はいはい。

    British Museum

    松田:インディアンジュエリーって作るのに時間かかるし、歩留まりも悪いし、スタンプがうまく入るかちょっとずれるかの差で駄作と秀作が分かれてまうし、そういうしょうもないコストの掛け方をしている気がするねんな。

    青山:うん。

    松田:だからそれを身に着けて楽しむことの正当性みたいなのはかなり怪しい。確かにインディアンジュエリー勢はクロムハーツのことをたい焼きっていうねんけど、まあ定価があほほど高いことはさておき、たい焼きの方が全然健康なんじゃないかとか思ったりもするわけで。

    青山:うんうん。

    ひとつの型から同じものを大量に生産できるのでそう呼ばれています。実際のところ、例えばいま僕が着けているクロムハーツのダガーハートリングであれば、そのまま店頭に並べられるところまで工場に仕上げてもらっても地金代金と加工代金込みで10,000円あれば作ることができます。

    松田:でも、それでもおれはインディアンジュエリーは好きやねん。それに対して不可避な罪悪感…まあ罪悪感に限らずやねんけど、完全に観念的なものではないからこそどこかで限界がくるような、そういう無駄遣いは最近ちょっと否めないなと思っている

    青山:うんうん。

    Amazon.co.jp

    國分功一郎『暇と退屈の倫理学』新潮社

    松田:でもさ、そのメタルTほんまに何百万円もすんの?

    青山:うん。正確にはそのメタルT自体の価格はまだ出ていない気もするが、バレンシアガのクチュールラインで他に買えるやつが公式サイトにいくつか出ていて、デニムジャケットが500万円ですよとか、数千万円のものもありますよみたいな世界観だから

    松田:すごいな。

    青山:だからそんなもんだと思う。

    30,000 €らしい

    松田:でもそうか、今やと物を選べば200-300万円のTシャツだってあるくらいやから、少なくともそれを超えてこないとポジションは取れないよね。

    青山:ダブレットがずっと出してるさ、もこもこのオーバーオールみたいなのがあって、それはシーズンごとに描かれている絵柄が違うんだけど。

    松田:うんうん。

    青山:それとかは普通に吹き付けると毛足が長くて根元まで着色されないから、だから一着ずつ京都の職人が描いてますみたいなことを、店とかに行くと説明される笑

    NUBIAN

    松田:そういうのってまじで全部そう、「ということを店とかでは説明される」って感じやんな。

    青山:なんかダブレットとかそれこそアルチザン系とかは、そういう労力をどちらかというとクラフツマンシップの方に引きつけていってる、それの顕著な例がロエベとか。

    アルチザン系の定義は「なんか魔法使えそう」、豆知識です

    松田:はいはい。

    青山:あそこらへんはデザイナーが普通に工芸が好きみたいなのがあるからなんだろうけど。でもバレンシアガのそれって、蕩尽つまり無駄遣いというか、ある種の交換可能性をどこかに残しているところがモードだよなみたいなことは思う

    松田:確かにね。

    青山:それはバレンシアガの服を見るたびに思う。あれってもっとも良いダメージの入り方で、もっとも良いプロポーションで、もっとも良い…感じのグラフィックが入っている、あくまで世間一般にはよくある服を提案していますってことだし。

    松田:はいはい。

    青山:だから無限の時間とネットワークが存在すれば、バレンシアガ同じかそれ以上のものを発見することが可能…であると誰でもすぐに想像可能だっていう、その状況でなおそれを買うことで、なんの質量もないブランドが逆説的に現像されているみたいな。

    松田:はいはい。

    青山:その感覚があるから、当初はやっぱり本心からそれを信じる気持ちにはなれないかもしれない、みたいなところに対して躊躇のようなものがあったけど、最近はむしろそれが好ましいのではないかみたいなことを思っているっていう。

    松田:確かにね、そう聞くと普通に欲しくなってきたな。

    青山:僕も最近バレンシアガが欲しいみたいな気持ちはある。

    松田:でもバレンシアガってなんぼすんの…てかそうか、パンツだけやと裾擦るから靴も一緒に買わなあかんのか。

    青山:そうね、まあ擦るっていう選択もある

    松田:なるほど。

    青山:最近はもうデニムだと20万円からって感じで、前に14万円のデニムが発売されたときは安いって話題になってた。

    無限の時間とネットワークの半分くらいがあれば見つかりそう

    松田:でも難しいな、今みたいな文脈において理解する場合むしろ中途半端な価格やと何やってるか分からなくなるから、確かに20万円くらいの方が気持ち良いんかもね。

    2024年10月11日
    Aux Bacchanales 紀尾井町